毎日新聞のwebサイトから広告出稿社が全部抜けて、自社広告のみになっています。
日々、400万部を売る天下の大新聞社が、便所の落書きに圧倒されている今、幹部の方々は随分と驚いていると思います。
その原因としてまず慢心があったと思うのです。
マスコミは社会の木鐸として数々の不正を暴いてきましたが、自社の不正には甘かった。
他人に厳しく自分に甘い。
これは私も含めて人間の性ですが、マスコミ以外の人々は、常に新聞種になる、というプレッシャーの元で働いてきた。
大新聞社にはそれがなかった。
実際今もネット以外のマスコミはまったく沈黙を守っています。
相互扶助の精神は健在のようです。
でも企業はみな引き上げた。
ネット内の事情を鑑みれば当然で、これだけネット内で反感を買っている時期に、大金払って広告出したらまっさきに不買の対象にされてしまいます。
ネットは確かにバーチャルな世界ですが、それを見る人は、PCの電源を落とした途端、リアルな購買者になるわけですから。
それから環境の違いへの認識が不足していました。
日々、400万部を売る天下の大新聞社が、便所の落書きに圧倒されている今、幹部の方々は随分と驚いていると思います。
その原因としてまず慢心があったと思うのです。
マスコミは社会の木鐸として数々の不正を暴いてきましたが、自社の不正には甘かった。
他人に厳しく自分に甘い。
これは私も含めて人間の性ですが、マスコミ以外の人々は、常に新聞種になる、というプレッシャーの元で働いてきた。
大新聞社にはそれがなかった。
実際今もネット以外のマスコミはまったく沈黙を守っています。
相互扶助の精神は健在のようです。
でも企業はみな引き上げた。
ネット内の事情を鑑みれば当然で、これだけネット内で反感を買っている時期に、大金払って広告出したらまっさきに不買の対象にされてしまいます。
ネットは確かにバーチャルな世界ですが、それを見る人は、PCの電源を落とした途端、リアルな購買者になるわけですから。
それから環境の違いへの認識が不足していました。
ほんの10年前、ダイヤルアップでチョロチョロ始まったネットは爆発的に発展し、今はかなりの仕事がネット経由です。
実際、家庭の娯楽も今やテレビよりネットが主体でしょう。
ニュースも完全にネットが主体。
今この記事を書いている脇では、リアルタイムで、アメリカの小売り売り上げを見、カナダ中銀の政策金利を見ています。
ネットは双方向でコミュニケーションでき、いくらで細かい情報が得られる。
そんな大きなパラダイムシフトを、毎日新聞は受け入れられなかったんだと思います。
世に発言するのは、また発言出来るのは自分(と仲間)のみ。
そんな牙城がドンドン切り崩されても、その現状をあくまで甘く見ていた。
都合の悪い現実から目をそらしたがる、というのもまた人の性ですが、それは破滅への道のりです。
そして危機管理がなかった。
何故、危機管理がなかったかというと、大新聞社に危機はなかったからですね。
我々一般人は、なんて無駄な謙遜しなくても、上は政治家から官僚、大会社までみんな不祥事を起こせばマイクを持った記者に追いかけられ、フラッシュの大砲列の中で深々と頭を下げさせられる。
自分達は常に悪を裁く方であり、正義の味方であり、賢いので、愚かな大衆を導く存在である、という認識なんですね。
そして「愚かな大衆」は低俗記事を喜ぶはずだから、発信しよう。
日本人はどれほど侮辱しても(例えば日本の母親は受験生の息子を・・・今、続きを書こうと思いましたが、みなさん御存知でしょうし、書くだけでも忌まわしいので止めます)文句を言う資格などない民族なのでなんでも書いてしまえ、とやりぬいた。
自動車会社から食品会社、その他、あらゆる仕事には責任が伴います。
自分が社会に対してした仕事に多少でも欠陥が疑われれば、すぐに責任を取らされます。
でも記事を発信する新聞社には、その責任は免除されていると感じてようです。
実際、家庭の娯楽も今やテレビよりネットが主体でしょう。
ニュースも完全にネットが主体。
今この記事を書いている脇では、リアルタイムで、アメリカの小売り売り上げを見、カナダ中銀の政策金利を見ています。
ネットは双方向でコミュニケーションでき、いくらで細かい情報が得られる。
そんな大きなパラダイムシフトを、毎日新聞は受け入れられなかったんだと思います。
世に発言するのは、また発言出来るのは自分(と仲間)のみ。
そんな牙城がドンドン切り崩されても、その現状をあくまで甘く見ていた。
都合の悪い現実から目をそらしたがる、というのもまた人の性ですが、それは破滅への道のりです。
そして危機管理がなかった。
何故、危機管理がなかったかというと、大新聞社に危機はなかったからですね。
我々一般人は、なんて無駄な謙遜しなくても、上は政治家から官僚、大会社までみんな不祥事を起こせばマイクを持った記者に追いかけられ、フラッシュの大砲列の中で深々と頭を下げさせられる。
自分達は常に悪を裁く方であり、正義の味方であり、賢いので、愚かな大衆を導く存在である、という認識なんですね。
そして「愚かな大衆」は低俗記事を喜ぶはずだから、発信しよう。
日本人はどれほど侮辱しても(例えば日本の母親は受験生の息子を・・・今、続きを書こうと思いましたが、みなさん御存知でしょうし、書くだけでも忌まわしいので止めます)文句を言う資格などない民族なのでなんでも書いてしまえ、とやりぬいた。
自動車会社から食品会社、その他、あらゆる仕事には責任が伴います。
自分が社会に対してした仕事に多少でも欠陥が疑われれば、すぐに責任を取らされます。
でも記事を発信する新聞社には、その責任は免除されていると感じてようです。
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