セザンヌ主義展@横浜美術館  フォーブへまで届いていた先見性

2008-12-24 | 16:13

私が小説、音楽、アートなどを楽しむ時、必ず自戒することは、自分が感じたままを言葉にする、ということです。
世界中の人が褒めても、ピンとこなかったら黙っているし、こんなの褒めたら恥ずかしいと思っても自分が良いと思えば絶賛する。
そんなこと誰でもやっていると思われがちでしょうが、人の心は権威への依存性や多数派への協調バイアスが根強く、遵守し続けるのは案外難しいんです。

なんでいきなりこんなことを書いたかというと、セザンヌは長きに渡り私の理解を超えていたからです。
絵画が好きになったのは、中学に入ってすぐ位だったのですが、印象派などは口当たりが良くすぐファンになったのです。
モネは良いね。ゴッホはスゴイね。ルノアールは綺麗だね、と。
ただセザンヌは分からない・・・
どこが良いのかこの画家は・・・と思い続けて数十年、文化村に来たオランジェリー展で天啓のごとく分かった。
それ以来のファンですが、その時の喜びは、権威であっても分からない物は分からないといい続けた
正直さの代償とも思えるほどの大きさでした。
分からないのに分かった積もりになっていたらこういう感覚は味わえなかっただろうと思うのです。

さてこの展覧会ですが、セザンヌの作品を中心にセザンヌの影響下にある作品群を展示されていますが、一通り見終わって感じることは、セザンヌのキュビズムへの先見とフォーブにまで渡る影響の大きさですね。
セザンヌ自身では、やっぱり静物>風景>人物の順でイイですね。
「林檎でパリを驚かせたい」という言葉に偽りなしです。
テーブルの上の赤いリンゴ一つに革新への気概が感じられます。
屹立する水差しは、後のモランディすら思わせますね。

他ではピカソなら「ひじ掛け」より「ポスターのある風景」の方が、より堅牢な画面から発散されるイメージが明瞭で好ましかったです。
モディリアーニが良いのは当然ですが、その前のセリュジエの「ルイーズ、あるいは」に描かれた人物像は、頑強な生への意志をあますとこなく描かれた印象で惹きつけられます。
マティスがエッチングの商品を出してますが、平易な色とデザインにしか見えないのに「この野郎」と思うほど印象に残ります。

佐伯祐三はカッコ良すぎてあまり褒めたくないのですが、「パレットを持つ自画像」は見ておく作品でしょう。
アンドレ・ロートと長谷川潔の風景画は、「私だけの秘密のお好み」というツボを刺激される感じで好きです。

ドランとヴラマンクを揃えてくれてありがとう、と感謝です。
そうかあ、セザンヌの筆にはフォーブもあるんだな。

ps
展覧会に行くと必ず音声ガイトを借りるのですが、今回ほど酷いガイドはないくらい内容空疎でツマラナイものはなかったです。
鑑賞の助けというより邪魔なので、これから行かれるかたは借りない方がイイでしょう。

ps
キスリングの「サンジェルマンの風景」はどの角度から見てもガラスが光って見えなかった。工夫してください。

Theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
Genre : 学問・文化・芸術

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