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数えずの井戸  京極夏彦@江戸の怪談に写し取られた脳化社会の叫びと囁き

2010-03-10 | 10:40

ハードカバーで771p。
重く(内容も本自体の重量も)長い小説でしたが、読了しました。

今回は、元ネタを怪談、番町皿屋敷に求め、それに御行の又市や徳次郎が絡みます。
目録と称される目次などは、構成にトリッキーな手法を使う京極夏彦の面目躍如で、○○数え、数えずの☓☓、という構成を22回繰り返す中、劇中の登場人物たちが交代で各々の内面を陰々滅々たる調子で語る形式で続きます。

派手なアクションや濡れ場もなしに、延々と陰気な内面の語りと、会話だけで終幕直前、700pまで読ませるのだから、大した作家です。

さてこの小説、読み方は色々あるでしょう。
最も素直に読めば、「井戸は冥界と現実を結ぶメタファー」ですから、「円く、黒い井戸に託された(日常の)裏返しの月(=狂気)」の表出物語、と読むことでしょう。
それが現世的な宝(日常の幸福)である皿を失い「星」になる。

でももう一つ、私は江戸怪談伝説に託された現代の脳化社会に生きる人の独白、とも読めました。
出てくる人物、みな延々と神経症的に内省し続けるのです。

現代は情報化社会、都市化とは脳化することだ、とは良く云われることですが、それほど大袈裟に考えなくても、例えばこの物語の中心になる井戸です。
水を汲む場所です。
でも今、水の利用はある種、記号化されている。
「水道」の「スイッチ」を捻れば(触れる、かざす、倒す)、水は出ます。
幾らでもでる。
非常に快適です。
現代では当たり前のことですが、江戸時代に水を汲むのは、身体的な運動だった。
雨でも風でも雪の日にも、水が必要なら井戸に行き、つるべをたらして汲み上げていた。それを母屋にまで運ぶ。
水は重く、冬場は冷たく大変な労働だったでしょう。
その苦痛の中で、水は、身体性を保っていたのです。
そして身体性は、人を狂気から救う大きな力になる。

身体的な運動は、その時点では不便であり、時に大変な苦痛を伴いますから、どんどん排斥されていったのですが、すっかり排斥し終わって、することが情報処理機能に特化した時、人は調子を狂わせるのではないでしょうか?
私はこの物語の登場人物の「狂気」と「飢え」に、そんな叫びを聞きました。

ラスト1行の、見事なカットティングは傑作の証でしょう。
厚さにたじろがず、一読オススメいたします。
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Theme : 小説
Genre : 本・雑誌

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