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嵐が丘(上)E・ブロンテ著 小野寺健訳@ライトノベルみたいなんだけど

2010-07-18 | 15:27

なんで今さら「嵐が丘」かと言うと、バタイユの「文学と悪」を読み出したからです。
文学と悪について、バタイユが最初に語りだすのが、この作品なんです。

なんで「文学と悪」なんて読み出したかというと、どうも昨今、芸術や文学など、ファインアートに属する分野が語るのは、穏やかな幸せとか、日常的な幸福、正義の話でなく、人の根底に潜むカオス、ディオニソス的な混乱、狂気を描くものだ、ということが忘れられつつあるのではないか、と感じるからです。
バタイユの言う処によれば
「文学にとって志向のものとは、悪の極限を掘り当てようとすることではないか」
ということですね。

ただ高校時代に読んだ「嵐が丘」、すっかり忘却の彼方で、バタイユの語る内容がどうもピンと来ない。

再読しようと思ったら、娘の読んだこの本があったので、これ幸いと手に取ったのですが、文章が全編、ライトノベルみたいな調子で、読みやすいのは確かでも、正直戸惑いが先に立ちました・・・
こんな調子の話だったっけ?
昔の訳文は読み難いモノであったけど、その分、引っかかる処もあったような、なかったような・・・

文学書の新訳ブームは賛否両論あるようですが、私にとって新訳は素晴らしいモノで、カポーティ、フィッツジェラルド、チャンドラーなど(村上春樹訳ばかりですが)今まで分からなかった世界に入っていけた。
でも今回は当惑が先に立ちました。
まあ新訳も色々で、訳者との相性もあるようですね。
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Theme : 感想
Genre : 小説・文学

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