スポンサーサイト

-------- | --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シドニー②ワラビー熱血篇 村上春樹 @人が何かを証明するには

2010-11-24 | 17:16

村上春樹のシドニーオリンピック滞在記後篇です。
副題から、ワラビー熱血篇などと肩の力が抜けてますが、ふとした調子に語られる言葉は、時に深遠を覗かされる気分になります。

安易な感動の話などないし、安易な商業主義への批判もない。
紋切り型の、どこかで聞いたような一文はなく、それこそシドニー郊外にあるような深い鉱山から掘り出してきたような文章が語られる。

マラソンランナーに密着したり、サメの話やアボリジニーの話になったり、と、とかく脱線しているように見えながら、読み終えると、こういう書き方でしか今のオリンピックは語れないよな、という感じもします。
あれだけ巨大なイベントと化したら、一人の人間が全てを平等に公平に語るということが逆にあり得ないという矛盾ですね。

そんな語られないことよって明らかになるのは
競技会場は「人々がある種の夢を見るためのグロテスクな装置」かもしれない、ということや「多くの勝利が中毒性に歪められた」ものかもしれない、ということ。

ゲームが終わった後に残るのは、
「僕らを地べたにへばりついて生き続けていかなくてはならない。明日、明日、そしてまた明日。僕らは闘い続
け、ある場合には途方に暮れる。でも一つだけ確かなことがある。もし競技者が闘争心を失ったら、それは闘うことをやめることなのだ。そういう意味ではオリンピックは大掛かりなメタファーなのだ」
ということです。
そんな中で人の護符となるのは
「撫でることのできた大きな太いワラビーの尻尾の感触」
苦しく不安げなこの言葉が結論めいたものでした。

ならば私たちは、
「自分の生き方の正しさを証明することができるのは、あくまで勝つことよってでしかない」
悲しいことなんですが、これを認識しないとならない。
世の中の「ほとんどの人」は結果でしか人を見ない。
組織に至っては「全ての組織」が、その人の結果だけから判断します。
人より組織の方が冷酷なのは、判断が全体に影響を及ぼすからでしょう。

そこで私は違う。
私は魂で人を見る。
参加すること(悔いなく戦うということ)に意義がある、と感じる方がいるとするなら、それはその価値観にもとづいて個人でそうするしかないんです。
みんなにそうしよう、と強制することは出来ない。

だから我々の恐れるべきは
「一人、自分を冷酷に追い込める人間だっているだろう。しかし自分に言い訳をすのは、だいたいにおいて他人に言い訳をするより簡単だ」
ということを自覚すること。

以前、漫画家アシスタント物語@イエス小池、を読んだ時も
「自分の夢実現を邪魔するものは、親でも社会でもない。自分の怠惰である」
という言葉がありました。

現実は厳しいです。
でも厳しい現実と渡り合えるのは生きている人間(ゲーム参加者)の特権です。
後はワラビーの尻尾の感触を抱いて、地を這い続けるのみ。

スポンサーサイト

Theme : 思うこと
Genre : 学問・文化・芸術

Comment

Re: No title

> 「自分の夢実現を邪魔するものは、親でも社会でもない。自分の怠惰である」
> ドキッとしました。自分に言い聞かせたい言葉です。
そうですね。
でも「よほどの人」以外は難しいでしょう。
ただ大きなことをやり遂げるには、「よほどの人」でないと無理なので、やはり自分を冷酷に追い詰めることが出来る人だけがこの言葉を乗り越えられるんでしょうね。

> ワラビーの尻尾の感触ってどんな感じなんでしょう。動物園でなでることができるのしょうか
これは厳しい現実の中で、慰めになるモノの象徴だと思います。

  • 2010-11-28 | 13:06 |
  • 晴薫(はるく) URL :
  • edit
No title

「自分の夢実現を邪魔するものは、親でも社会でもない。自分の怠惰である」

ドキッとしました。自分に言い聞かせたい言葉です。

ワラビーの尻尾の感触ってどんな感じなんでしょう。動物園でなでることができるのしょうか。名古屋の東山動物公園は動物に触れることが一切できなくて面白くなかった記憶がありますが・・・。

  • 2010-11-27 | 22:39 |
  • スマ URL :
  • edit

Post a comment

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。