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河合隼雄との対談で感じた長編作家としての村上春樹の難しさ

2011-09-14 | 17:58

「約束された地で」の後半に、村上春樹と河合隼雄の対談が載っています。
読み応えのある内容なんですが、村上さんが相当抽象的な思考をするんで、少し驚いてます。

たとえば、「悪というもののかたちを書きたいと思っていました。でもうまくしぼりこんでいくことができないんです。悪の一面については書けるんです。たとえば・・・でも悪の全体像ということになると、その姿をとらえることができない」
なんて書いてある。
「悪の全体像」
これを絞り込むのは難しいでしょ。
村上春樹だけでなく、どんな作家にも芸術家にも描けないと思いますよ。
そもそも絞りこめるモノなのか?
絞り込んでしまって良い対象なのか、ということですよね。

そこで気になったのは、村上春樹の長編小説への引っかかり感です。
村上春樹は、短編小説もエッセイも、ノンフィクションも書きますし、翻訳もする。
みんな素晴らしい。
私は大好きです。
でも自らを何者か、と問われれば、長編小説の作家である、と答えたいそうですが、私の順番では、春樹村上の長編は最後に来ます。
エッセイに書かれるユーモアは楽しいし、フィクションには切れ味があり、短編は印象深く、翻訳は美しい。
でも長編小説になると、飲み込む時にどうも喉に掛る感じがぬぐえない・・・
なんでだろうという疑問の答えは、あまりに深く対象を捉えようとする性にあるのではないか?
そこに咬んでも咬みきれない塊が残る原因があるのではないでしょうかね。

小説って、あくまで完全な言葉に出来ない対象を、「物語り」という動きのある、「ダイナミズムの中で感じさせる」モノですよね。

対象を「完全に捉えよう」とすると、量子力学で言う不確定性が出てしまう。
位置を完全に特定すると、運動量はどこまでも曖昧になってしまわざる得ないような原理って、文学の中にもあるんじゃないでしょうか?

小説と言っても分野が違うこと承知で書きますが、S・キングは、上下二巻、二段組み3000pの作品「アンダー・ザ・ドーム」を、「アクセル踏みっぱなし」で書こうと試み、成功しました。
アメリカの田舎町が突如、破壊不能のドームで蓋われる。
非常にクダラナイ設定で、キング以外の作家が書いたら読むに耐えないモティーフだよねえ、と思いつつ、キングが書くと爆走800馬力!って感じになる。
そこには多様な、恐ろしいほどの悪が脈打ち息づいてました。

でもS・キングって恐らく抽象的な思考ってしない人ですよね。
庭にイカシタクルマがあったから、アクセル全開で走ってきました、みたいな。
エンジンが何馬力で、バブルの動弁機構なんて知らないし、あんまり興味もない。
自宅の庭にはあったけど、ホントに自分のクルマだったのかな、なんてことすら考えず、ともかくアクセル全開で走ってみたら凄かったよ、みたいな。
でも長編小説って、その位の勢いで書いた方が良いような気もするんですよね。
言葉に還元しきれないナニカが立ち現れるのは、そういう試みが成功した時だけじゃないかな。

1年でも早くノーベル賞を、と願いつつ、日本最高の作家に生意気言ってみましたよ、という記事でした。
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Theme : 思うこと
Genre : 学問・文化・芸術

Comment

Re: No title

> 秘かに膝を打つご意見です。
ありがとうございます。

>長編に依ってしか表現できないものを表現しようと最大の精力を払っており、だから長編作家を自認
そのようですね。
一番、力を入れている分野なのは確かなようです。
個人的には、村上さん、長編小説が一番窮屈な感じがするんですよね。
もっと奔放に、天馬空を駆ける、みたいなノリを読みたいです。

  • 2011-09-16 | 21:09 |
  • 晴薫(はるく) URL :
  • edit
No title

 村上春樹を五分の一くらい読んでいますが、秘かに膝を打つご意見です。長編に依ってしか表現できないものを表現しようと最大の精力を払っており、だから長編作家を自認されているのでしょう。しかし私のような読者は自由に読めば良いと春樹は言うと思います。批評家には許さないと思いますが。

  • 2011-09-15 | 23:05 |
  • arz2bee URL :
  • edit

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