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フランシス・ベーコン展@東京国立近代美術館:教皇は何故、叫ぶのか?

2013-03-29 | 22:11

展覧会開催記念。
前記事に続いて画家フランシス・ベーコンへの解釈記事です
フランシス・ベーコンの最も高名な作品「ベラスケスの<教皇イノケンティウス10世の肖像>に基づく習作」。
今回も叩き台になったと思われるモノが来てますが、中の人物が叫んでいます。

ベラスケスのリライトなら、単に画風を変えれば良いのに、何故ベーコンは叫ばせたのか?
その叫びは何故か?
恐怖でしょう。
教皇は非常に恐ろしいモノを見たのです。
何か?
鏡です。
彼は自身、自らの姿を見て、恐怖に絶叫しているのです。
我々は肉(他の命)を喰らわなければ一瞬たりとも生きながらえない。
我々の原罪は消えていない。
我々人類は、という以前にありとあらゆる生命は、他者の犠牲の上に生きる呪われた存在である。
この意味を悟った時、教皇イノケンティウス10世は、叫ばずにはいられなかった、というのがベーコンの解釈でしょう。

生はおぞましい。
それでも我々は生きなければならない。
大きな矛盾の中で、原罪を乗り越えなければならない。
それが我々の課題です。

前記事で、音声ガイドのゲストになった熊川さんに対し、バレリーナは反ベーコン的である、と書いたのは、ベーコン絵画に秘められた肉体への、肉体が肉体として存在するが故の恐怖からです。
すべてのバレリーナは肉体を信仰し、肉体を愛して表現の極限を目指す。
ベーコンは肉体を恐怖し、呪詛の叫びを上げる。
真逆の価値観です。
ベーコンの絵画に描かれる顔はみな、鋭利な刃物で切り裂かれ、抉り取られたように見えますが、それは互いに、生を保つ必要が故に、あの剥きだしにされた歯で互いに噛み合ったからです。
ロココの優雅。
バロックの荘重な美しさの中に、人の深遠、魂の場所を探る絵画なら、熊川哲也さんは合っていたかもしれない。
でもフランシス・ベーコンはダメです。
コッチは英国文化圏の生んだパンク、あるいはハードなロックだからです。
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Theme : 美術館・博物館 展示めぐり。
Genre : 学問・文化・芸術

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