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世紀末画廊 澁澤龍彦@萌えアニメのサンボリズム的解釈に必須な教養

2013-09-19 | 22:29

碩学、澁澤龍彦先生が世紀末と幻想芸術全般を俯瞰した1冊です。
アンソールから語り始められるこの本は、歴史的には紀元1000年(至福千年期)から発展したサタニズムの解釈から、ビザンティンの薄明に至るまで。
東西では上田秋成からシュルレアリズムを経てベルメールに至るまでと、ともかく広い。
そして何より今に響くのは、萌えアニメを解釈する上での深い歴史的考察です。
萌えは現代に突然始まったモノではなく、人類の文化史上、連綿と続いていたモノなのです。

東西の古典に精通する衒学者であると同時に、芸術を詩情豊かに語れる詩人でもある澁澤龍彦の本は、何度でも読み返したくなるので以下、忘備録
1)心理学者ノーマン・ブラウンによれば、あらゆる人間の文化、芸術的活動の目標は、「失われた幼児の肉体を発見してゆくことである」が、幼児とはフロイトの言う「多形性倒錯」者としてのアンドロギュヌスに他ならない。
それはブルトンの言うファンム・アンファン(幼児のような女)と一致する。
「私が幼児のような女を選ぶのは、彼女を他の女と対立させるためではなく、彼女のうちにのみ、もう一つの視覚のプリズムが完全な透明状態において宿るように思われるからである@ブルトン」

2)幻想美術は、何かを語ろうとしているという意味で、文学的絵画と同義語になる。明らかに一つのメッセージが発せられので、それは詩人や小説家の役割と等しく、反リアリズムの基礎に立っているが、最後まで現実からは解放されず、純粋抽象の海の中に、そのメッセージを拡散させてしまうことはない。
3)芸術とは、今日、いまだに効果を失ってない唯一の魔術であり、日常的現実に根差した知性や合理主義の手続きを廃棄し、夢やエクスタシーや狂気によって、一挙に根源的な世界に参入する。

4)ゴヤやサドのように、芸術にある種の毒は必須である。それは人間性には暗黒面が付きまとうからである。自分の理性を証明する為に、健全な精神を納得させるために錯乱のイメージを組織的かつ系統的に深めた処にこそ、18世紀的魂にふさわしい理性と錯乱の逆説がある。

5)玩具の生命を見たがる。これは子供の最初の形而上学傾向である。
子供たちは人形をバラバラに分解してその内部の秘密、生命を見極めようとする熱望がある。ピカソのように肉体を謳歌する薔薇色のエロティシズムに対比される、それは賛美する死と暴力の認識の上に立った危険な黒いエロティシズムである。
人形愛好家にとって「女」はイブのように男の内部から出て来た存在であり、無意識の強烈な自己愛の変形である。

6)肉欲の伴わない芸術的衝動は、真の個性とはなり得ない。一つの時代の精神的な雰囲気を代表する為には、みずからの宇宙に沈潜する必要がある。
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Theme : art・芸術・美術
Genre : 学問・文化・芸術

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