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新劇場版:叛逆の物語@叛逆の時は何時だったのか&それは邪悪な行為だったのか?

2013-11-17 | 22:11

土曜日、仕事終了後、まどかマギカ叛逆の物語、レイトショーにて6回目の鑑賞をしてまいりました。
早く空いた環境で観たいのですが、呆れかえるほど混んでいました。
何回観てもオモシロイのは、みなさん同じなんでしょうかね。

で、今回は前記事で書いたようにひたすら「暁美ほむらは何時、叛逆を想起したか」という一点に注意して観ました。
なんか結論が出ましたね。

推理小説のルールと同じように、決め手となるシーン一つ一つにおいてほむらがウソをついてないとすれば、悪魔になる決意をした時期はどんどん後にずれるのです。
そして悪魔になる、という予兆だけは、黒い羽を落として示している。
となると、前記事で書いたように、やはり暁美ほむらが叛逆を決意したのは、この映画の始まる前です。

決め手になったセリフは、魔女化したほむらを助けようと魔法少女戦隊が奮闘する中で言った
「どんな姿に成り果てようと、私はまどかと一緒にいる」
という言葉と、最後、まどかを引き裂いた後に行った言葉
「思いだしたのよ」
の二つです。
要するに、結界の中の世界に自分が転校していくことも、ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテッドの戦いに疑問を持つことも、記憶を失った自分が探偵役として魔女の正体を探り出すことも、全ては始まる前に見越した上だったのです。
ほむらはまどかのいない世界に耐えることが出来ず、ソウルジェムを濁らせてキュウべえの企みすら計算の上で、「神を引き裂いて再びこの手に抱く」計画を計ったのでしょう。
やはり「やっと捕まえた」の「やっと」には、大きな意味があったのです。
この言葉に重い意味をあてた斉藤千和さんの演技、お見事でした。

「希望より熱く、絶望より深いもの、人の最も深い感情、愛よ」
またまた虚淵名言だよね。
言われてみれば、ホント、その通りって感じ。
さて、ここで問題なのは、暁美ほむらへの評価である。
彼女は何か悪いことをしたのか?ということだ。
健気にも罪悪感を持ったのか、自らを悪魔と呼んでいるが、まどかにとっては、概念となって永遠に戦い続けるより、平凡な中学生として生きていけるのだから、幸福と言えなくもない。
それに元々、まどかはほむらを嫌っていたわけではない。
嫌われているのに、引きずり出したら巷間言われているようにスト―カ―だろうが、まどかもほむら好きだったのは、テレビ版でご覧になった通りだ。
真に悪魔的だったキュウべえはあの通り片付けたし、憎しみを浄化させているんだから問題はないのではないか?

結局、よくよく考えるに、今回の話の結論は、暁美ほむらは邪悪な存在となったのではなく、真の救世主であった、というのはどうでしょう。
概念化されたまどかを家族の元に返し、彼女自身、普通の生活を取り戻させ、自分も嬉しい。
見事な意思と鉄壁の計算と、大胆な掛けに出た度胸。
暁美ほむらは真の意味でのゲームの達人、ナポレオンである。
現代に復活したジュリアス・シーザーである、という見方ですね。
今の処。
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Theme : 魔法少女まどか☆マギカ
Genre : アニメ・コミック

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