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回転木馬のデッド・ヒート  村上春樹@優れた文学の示すモノ

2014-08-15 | 22:09

文学と娯楽小説の違いとは何か?
単純に文学は高尚で、娯楽小説は他愛もない読本?
そんな話ではないですよね。
この二つの分野は同じフィールドで行われるが、力の方向性が違う。

陸上にたとえるなら、走り高跳びと幅跳びの違いみたいなものか。
優れた跳躍であってもそれぞれ異なり、どちらが偉いというモノでもない。
上質な娯楽小説なら、読んでる間ハラハラドキドキ、読者がああオモシロかったと本を閉じてくれればまずは成功だろう。
では文学ならどうか?
この短編のレーダーホーセンは一つの答えを出しているのではないか?
曰くそれは深淵の提示である。
何気なく歩いている我々の足下に、ふっと口を開けて待っている深い闇。
覗いても底は見えずにただ茫漠と風が吹いてくるだけみたいなモノだ。
妻は何故、唐突に夫への憎しみを自覚したのか?
我々はその闇の正体を把握することは出来ないが、そんな暗黒をくっきりと明示され圧倒される。

嘔吐1979も優れた作品だ。
文学の世界で嘔吐、と言えばまずはサルトル。
この作品もその嘔吐@1938(笑)が意識されているのだが、1979版として実存主義的不安の優れた予感になっている。

友人の妻や恋人を挨拶代りのセックスをする男のキャラクター。
読んでいると向こう側が透けて見えるほど薄っぺらいのだが、ネットの情報に囲まれ、その中で生きる我々はこうして生のリアリティを失っていく、あるいは、生のリアリティが変質していかざる得ないのではないだろうか。

もしインターネットなどなく、テレビすらなくラジオもなく、情報というモノが人と人との対面でしか伝わってこないとしたらどうだろう。
対面する人間に浮かぶ玉のような汗と体臭を通してのみ現実があり、情報の伝達があり、生きる糧を得る方法は、土と格闘する以外ない世界と、娯楽も仕事も情報もすべてエレクトリカルな今の世界に住む人間の実存主義敵不安は変質していて当然のはずだ。
村上春樹が今、世界中で読まれている背景には、村上春樹の描き出す小説世界が、ヴァーチャル化した今の現実を予言していたからでないかな、とも感じた次第でありますね。

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