スポンサーサイト

-------- | --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

嘆きの天使@教授は不幸になったのか? 現状維持バイアスについて考える

2014-08-27 | 22:33

神話的な造型であるファム・ファタール(運命の女)を、ディートリッヒが見事に演じ切り、映画史上でも著名な作品となった1本です。

旧い映画なので、とりあえずストーリーを説明すると、真面目一本で生きてきたギムナジウムの教授が、学生の持ち込んだ絵葉書のいかがわしさに仰天。
街を巡業中のキャバレーに文句を言いに行ったものの、逆に踊り子歌手のディートリッヒの妖艶な魅力に憑りつかれ、教授職を投げ打ち結婚。
落ちぶれて故郷の街で屈辱的な扱いを受け、最後はかつて自分が教えていた学校の教壇で死んでしまうという、人間は真面目に手堅く、道を外れてはならん、という教えに満ちた映画です(笑

でも教授が、あのまま妖艶な踊り子と出会わなかったらどうでしょう?
出会っても心動かされなかったらどうだったか?
穏やかな日々は続いたでしょうが、独身で毎日毎日決まりきった授業をやるだけの味気ない日々。
それなりに敬意は払われ、生活も安定していたでしょうが、それでそのまま年を取ってどうだったのか?
手堅い一生ではあったでしょうが、幸せな人生だったと言えるのか?
あの酷い待遇が始まる前、踊り子と結婚する時の教授の顔は、幸福の絶頂そのものでした。
幸福をグラフ化し、それを積分すれば、何も起こらない人生と(高さは低いが長く続く)、踊り子と出会い結婚し(ピークは高いが、期間は短い)、破滅した人生の幸福の総量は同じだったのでは?と考えられなくもない。

なに、それではオマエはこういう女に会いたいかって?
逢いたくないですね。
貴方は逢いたいですか?どうでしょう。
この質問、多数の人にしてみたら、恐らく逢いたくない、という人が多いんじゃないでしょうか?
でもそれなら、出会っても出会わなくても幸福の総量は同じだった、とした仮定は間違っている、ということになりますね。
幸福の総量はやはり地道な生活の方が良かった、ということになる。

だったら計算が見合うだけ、幸福のピークをうんと上げましょう。
踊り子と出会い、結婚した教授はとてつもなく幸福だった、天国にいるようだった、としましょう。
さて、これで数学的に同量です。
完全に同じとする。
出会わない生活は、安定していてもとてつもなく退屈で、出会う方は落剝するまで天国にいるごとし、とする。

ここでまた質問です。
貴方だったらどうするか?
そう、これでも多数の人は安定を選ぶんです。
この人間の思考の偏りは、一般に現状維持バイアスと説明され、経済学ではダニエル・カーネマンが期待効用のアノマリーとして理論化しました。

我々は未知のモノを恐れ、退屈だ、と嘆きながらも天使は望んでないという驚きの心理状態が明らかにされたのです。
スポンサーサイト

Comment

Post a comment

Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。