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寝ながら学べる構造主義:5

2006-04-20 | 23:28

ラカン:精神分析医です。
鏡像段階」とは、幼児が鏡で自分を手に入れることです。

人間の子供は動物の子供と比べて、極めて未成熟なカタチ(自分で動けず食物も完全依存という状態)で、この世に生を受けます。
それは「原始的不調和」「寸断された身体」という太古的な心象を残します。

それがある瞬間、鏡を見た幼児はそこに、「私」、をみるのだそうです。
それまで不統一でバラバラな感覚のざわめきが、一挙に「私」として統一される。
ラカンの言葉でいうと
ある種の自己同一化として、つまり、主体がある像を引き受けるとき主体の内部に生じる変容として、理解される

しかしそれは鏡の中の「私でないもの」を「私」と「見立てる」ことによって
「私」を形成するという「つけ」を抱え込み、
「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保され、
私」の原点は「私の内部」にはないのです。
これを「鏡像段階を通過する」といいます。
人間は誕生と同時にある種の狂気を病むことになるのです


次に人間が大人になる為に必要なことが、他者と言葉による交換=社会化です。
この社会化こそが「エディプス」と呼ばれるものです。
人は生きる上で数々の困難、不条理な出来事に遭遇します。
そしてその困難と不条理を受け入れなければ生きていけません。

どうやって受け入れるのか?
ラカンは困難と不条理を「父」と規定します。
そして「父=不条理」が人生に介入する結果として、
自分の困難な運命は「説明」され、人は不条理を受け入れる、とします。
これもまた理由なき詐術です。

結局、人はその人生で二度大きな「詐術」を経験して正常な大人になります。
これでは「おのれが正気であることを自明の前提とする」
すべての知はとりあえず疑問符がつけられます。

ラカンは、「知」そのものが神経症的病因から誕生した
「症候形成」かもしれない
、という疑問を生じさせました。

次回はやっと最終回。
まとめをやって終わりにします。
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Theme : 哲学
Genre : 学問・文化・芸術

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